日が沈みかける頃、まちのあちこちから、夏の装いの人が歩みを進める。
やがて薄暗くなって、ほの明るい提灯や街灯が灯り始める。
車もほとんど通らず、辺りはしんとした静寂に包まれていく。
車両通行止めの道へさらに歩みを進めていくと、人々の話す声、下駄の鳴る音が徐々にいくつも重なり合って、にぎやかさを増していく。
その先にあるのは、人の輪と、お囃子。
日本三大盆踊りのひとつ、郡上踊り。
郡上のまちへ。
郡上のまちなみ
岐阜県への移住後に知り合った方のお誘いで、郡上踊りを見に行くことに。
山と川、田畑に囲まれた道を車で走らせること約1時間。
まるで山の中にぽっかり浮かんでいるかのような郡上八幡城が見えてくる。
同じ岐阜県内なのに異国の地にいるかのような、はたまた別の時代に迷い込んだかのような錯覚に陥る。
まちの中を歩いていてもその錯覚は途切れず、これはなんだろうとぼんやり考える。
ちょっとした観光気分のような、いや観光とはずれがあるような。
そうだ。
喩えて言うなら、あの世へ少し立ち入っているような感じではないだろうか。
黄昏時に訪問したせいもあったかもしれない。
そこにいる人の意識が、発光するような主張がなくて、風景に溶け込んで揺らいでいるような印象を受ける。
土地が人の意識の濃さを変えてしまうのだろうか。
たくさんの人が輪になって、思い思いに踊る。
輪になっている人の流れを遠巻きに観察してしばらくすると、自然と自分の足も輪の方へと吸い込まれていく。
見様見真似で黙々と踊る。
知らない土地の、知らない盆踊り。
歌詞も曲も振りも知らない。
周りの人も知らない。
ただひたすら踊る。
疲れてきて、また輪から離れて遠巻きに人の流れを観察する。
りょうたさんが、輪とは別の場所でも人が踊っていると教えてくれ、見てみるとそこでも即席で楕円形の輪ができていて、人が踊っていた。
残響と鎮魂
ー盆踊りは、先祖供養なんや。
ーこの切子灯籠は彷徨ってくる霊の目印になるもので、この下で子孫の自分たちが踊って、ご先祖様に「我々は元気ですよ」とお知らせしてるんや。
郡上のまちに足を踏み入れたときに教わったことを思い出す。
なぜ踊りなのだろう。
語りではなく、踊り。
古くから継承されている型を踊ることでこの身に流れている血に刻まれている彼方の時代の先祖の思いを呼び起こすのだろうか。
苦労して土地を開いたことや、作物を育てたこと。
争いや飢餓を耐え忍び、命を繋いだこと。
どうか安心してください。
そのお陰で今の自分たちは元気に暮らしていますよ。
踊ることで、残響のように血肉に宿り続けている先祖の思いを鎮めているのだろうか。
夏が終わる。
また季節が巡る。

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